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日本支配からの朝鮮史 李氏朝鮮から日本支配、大韓民国の建国へ

 朝鮮半島には李氏朝鮮という王朝が存在したが、国民が豊かになると反乱が起きるという考えから近代化が起きることはなく、多くの市民は原始的な生活を送っていたとされる。

 朝鮮半島の発展が急速に進んだのは、1910年に日本に併合されてからだった。日本から朝鮮半島に大量の資金と人員が投下され、各地に学校が建設され、北部は工業化が進んだ。李氏朝鮮時代は階級差別が強かったこともあり、市民は日本を歓迎したという。

日本人になりたがった人々

 朝鮮総督府や学校の上層部を支配していたのは日本人だったから、朝鮮人でいるよりも日本人に同化した方が有利だった。こうして多くの人は日本語を覚え、日本風の名前を名乗るようになった。日本が満州を支配するようになると、朝鮮人も満州に移住するようになった。この際も日本人でいた方が都合がよいので、ますます日本人になる人が増えた。

 満州にいた中国人は怒って朝鮮人を襲撃するようになった。こうして発生したのが万宝山事件で、日本は警察隊を派遣して事態を収めたが、反中感情が高まった朝鮮では各地で中国人を虐殺する事件が発生した。

 第二次世界大戦では日本とともに戦いたいと考える朝鮮人は多かったが、日本は彼らをあまり信用していなかったようで、日本軍に加わった者は少なかった。戦争中も朝鮮半島は戦場にならなかったため、比較的平和に過ごすことができた。朝鮮半島でも戦争終盤の1944年8月に徴兵が始まったが、日本本土よりも朝鮮半島の方が生活が豊かだったという。

金日成と李承晩

 戦後、ソ連は朝鮮内の親日派を粛清し、以前から抗日活動を行っていた金日成(きんにっせい)を重用し始めた。金日成のグループは大した勢力ではなかったが、ソ連軍がその他の共産主義組織を金日成のグループに合流させたことで勢力を拡大し、9月9日には朝鮮民主主義人民共和国を建国するに至った。

 一方、南部地域を占領したアメリカ軍は日本の朝鮮総督府の仕組みを引き継いで運営を行った。多くの日本人はこのとき追放された。ソ連との対立がはっきりしてくると、共産主義勢力を弾圧し共産党を非合法化しようとした。これには有力政治家も含まれていたため、大規模な抵抗運動が始まり、テロも頻発するようになった。手を焼いたアメリカは朝鮮を独立させることにした。

 しかし南朝鮮単独で独立を目指した李承晩(りしょうばん)と朝鮮全土の統一を主張する金九(きんきゅう)が対立し、テロや暗殺が相次いだ。治安は急激に悪化し、多くの朝鮮人が日本に逃げ出した。このとき逃げ出した人たちの多くは日本にとどまり、在日朝鮮人となった。争いは李承晩が勝利し、1948年には大韓民国の独立が宣言された。

大韓民国の反日教育

 朝鮮半島の南部は北部と異なり、工業化が進んでいなかった。南部は気候が穏やかだったため、日本は南部では農業を行わせ、北部は重点的に工業化を進めたからである。日本支配時代と比較しても生活は楽にならず、国民の多くが不満を持ち始めた。

 そこで李承晩は反日運動を行うことで、国民の不満を逸らせることにした。

 「日本に支配される前の李氏朝鮮はたいへん優れた国だったのに、野蛮な日本が侵略してきて蛮行の限りを尽くし、おかげで現在の生活は苦しいのだ」というストーリーを作り上げた。日本による近代化・工業化は否定され、李氏朝鮮は東洋で最も優れた国家だったが、野蛮な日本に蹂躙された被害者になった。この歴史を否定することは許さず、否定した者は犯罪者として処罰した。

 このストーリーは李承晩以降の政権も引き継いでいき、学校でも慰安婦問題などが教えられているため、韓国人は日本人を恨むようになったとされる。

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