日本史

羅生門と朱雀大路の行方 移り変わる京都の中心地

芥川龍之介の小説「羅生門」は、門で一人の男が雨宿りをしている場面から始まる。その門の名は「羅生門」で、その門は朱雀大路という通りにある。

広い門の下には、この男のほかに誰もいない。ただ、所々丹塗の剥げた、大きな円柱に、蟋蟀が一匹とまっている。羅生門が、朱雀大路にある以上は、この男のほかにも、雨やみをする市女笠や揉烏帽子が、もう二三人はありそうなものである。

芥川龍之介「羅生門」

京都の入り口、羅生門

丹塗(にぬり)とは神社の鳥居などに見られるような真っ赤な塗装のこと。そして朱雀大路という名前からは、大きな通りであることがわかる。朱雀(すざく)は南方の守り神であることから、朱雀大路は京都の南から中央へ向かう道路だとわかる。

そして羅生門は大きな円柱があり、鮮やかに塗装されていたと言うことは、まさに羅生門が平安京の入り口であると想像できる。平安京に入る人は朱雀大路を歩き、羅生門をくぐるわけだ。

消えた朱雀大路

しかし、現在の京都の地図には「朱雀大路」という名前の通りは存在しない。メインストリートの朱雀大路と、入り口にあたる羅生門はいったいどこへ行ってしまったのか。

羅生門は羅城門(らじょうもん)という呼び方のほうが一般的で、記録によると980年に倒壊したまま、再建されることなく今に至る。980年といえば平安時代のまっただ中で、都が平安京に移ったのが794年。そのときに建築されたと仮定しても、二百年も経たずに倒壊してしまったことになる。歴史ある京都では、短い期間だった。

現在の京都は京都駅から京都御所に向かって四車線の大通りがあり、これがメインストリートとなっていて、名前は烏丸(からすま)通りという。

朱雀大路と羅城門の今

朱雀大路という名前の道路は存在しないが、現在の千本通りがかつて朱雀大路だったとされている。

千本通りはかなり狭い道路で、途中が一方通行になっていたり、途切れていたりで、とても「朱雀大路」とは思えない平凡な道路である。南北に伸びる道路だが、京都駅から見るとかなり西側にある。

千本通りの途中に「羅城門遺跡」がひっそりと建っている。どのくらいひっそり建っているかというと、観光客が誰もいないくらいひっそりしている。それもそのはずで、小さな小さな公園に「羅城門遺跡」と書かれた石碑が建っているのである。この小さな公園にはカラフルな滑り台があり、その偉容のかけらもない姿が実に悲しい。

現在の京都市の地図に重ねると、平安京はやや西寄りだった。平安京の西側は地形的に水害を受けやすく、次第に中心は東へ移っていった。そしてメインストリートは朱雀大路ではなく、烏丸通りになったというわけだ。

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