第二次世界大戦とデンマーク ドイツ占領下のレジスタンス

 ドイツと国境を接するデンマークは、第一次世界大戦では中立を保つことができた。ドイツでナチスが台頭すると、デンマーク政府は国内の新聞や雑誌がドイツを批判しないように目を光らせた。ドイツで迫害された共産主義者やユダヤ人はデンマークに逃げ込もうとしたが、政府は外国法を厳格化し、難民を閉め出しドイツと良好な関係を保った。 ドイツと良好な関係を保つ  第二次世界大戦が始まってからもドイツと良好な関係を保ち、農産物の輸出を続けた。しかしドイツは資源が豊富なノルウェーが連合国の手に落ちることを恐れていた。ノルウェーに ...

ReadMore

第二次世界大戦とオランダ 「飢餓の冬」とインドネシア独立戦争

 第一次世界大戦ではベルギーやオランダがドイツ軍により占領された。オランダも総動員体制をとり、隣国ベルギーからの難民を多数受け入れた。ドイツにはオランダまで攻撃する余裕はなく、結局オランダは攻撃されずに済んだ。  戦後、オランダは他国同様に世界恐慌に巻き込まれ、一時ファイズム勢力が台頭する。しかし当時オランダではコレイン首相が絶大な支持を集めていて、ファシズム勢力が支持を広げることはなかった。コレイン首相は地戦争で手柄を立て、軍制改革に手腕を発揮した後、石油会社の取締役になった男だった。叩き上げの力強いイ ...

ReadMore

サイパン島の戦い マッピ岬はバンザイ・クリフへ

 第二次世界大戦時、サイパン島には日本人が3万人、現地人が4,000人ほど暮らしていた。アメリカ軍の攻撃が迫ってくると、日本政府は彼らを本土へ避難させようとした。しかし輸送船はアメリカ軍の潜水艦に撃沈されてしまい、移送することはできなかった。  サイパン島防衛の任務は第34師団に与えられた。1944年5月には1万人がサイパン島に上陸し、東条英機首相は「これでサイパン島は難攻不落になった」と言ったという。しかし後続として予定されていた部隊を乗せた輸送船は、アメリカ軍の潜水艦により撃沈されてしまった。 サイパ ...

ReadMore

第二次世界大戦とブルガリア 判断の遅れでソ連の勢力下へ

 ブルガリア王国は第一次世界大戦でドイツ側が勝利すると判断し、中央同盟側に立って参戦した。しかし目論見は外れて敗戦国になってしまい、多くの領土を失うことになった。 引く手あまたのブルガリア  第二次世界大戦でブルガリアは各国から注目された。ドイツはギリシャ領の一部供与と引き替えに、三国同盟への加入を求めてきた。ソ連はトラキア地方の供与と経済援助の引き替えに、黒海海軍基地の使用許可と相互援助条約の締結を求めてきた。イタリアはギリシャへの攻撃を、アメリカは中立維持を、トルコは防衛条約の締結を求めてきた。  こ ...

ReadMore

第二次世界大戦とスイス 枢軸側に協力して永世中立を維持

 永世中立国として知られるスイスは、第二次世界大戦でも中立の姿勢を貫いた。スイスが中立を維持できたのは、偶然と枢軸国への協力によるもので、永世中立を掲げていたからではなかった。 開戦までのスイス  戦前のスイスは他の国同様に世界恐慌の影響を受け、共産主義やファシズムの力が増していた。スイス政府は対策に乗り出し、ナチスの活動を禁じた。スイスの個性は「多様性」にあるとして、民族的な全体主義を否定した。  一方でドイツやイタリアとの対立を避けるため、イタリアのエチオピア侵略とドイツのオーストリア併合を承認し、国 ...

ReadMore

日本本土空襲 ルメイ少将の無差別爆撃作戦

 B-29長距離爆撃機が完成したことで、アメリカ軍は日本本土に爆撃することが可能になった。B-29の生産は開発元のボーイング社だけでなく、ゼネラル・モーターズ社、ノースアメリカン社、ベル社でも行われた。 マッターホーン作戦  1943年8月にアメリカのルーズベルト大統領とイギリスのチャーチル首相が会談し、ノルマンディー上陸作戦と日本本土の空爆が行われることに決まった。  日本本土空爆はB-29をインドのカルカッタ(現コルカタ)に配備し、中国の前進基地を利用して日本本土を爆撃しようというもので、作戦名はマッ ...

ReadMore

マダガスカル計画 ユダヤ人の追放から、絶滅への転換

 第二次世界大戦が始まる前から、かなりの数のユダヤ人がドイツから逃げ出していた。アメリカに10万人、イギリスに5万人、フランスに3万人、オランダに3万人程度が脱出したとされる。  ナチスをはじめとする反ユダヤ主義者は、ユダヤ人を憎んでいただけではなく、「ドイツを崩壊させる病原体」と見なしていた。そこでドイツ国内のユダヤ人が消え去ることを望んでいた。国外へ出て行ってくれるなら、それを妨害する理由はなかった。 マダガスカル計画  フランスを占領すると、ユダヤ人をフランスの植民地マダガスカル島へ追放する計画が立 ...

ReadMore

ドイツ・アメリカ・日本の潜水艦運用の違い

 第二次世界大戦において、ドイツ・アメリカ・日本では異なる潜水艦運用を行った。 第一次世界大戦におけるドイツの潜水艦運用  ドイツの潜水艦は「Uボート」と呼ばれる。ドイツ語の「Unterseeboot(潜水艦)」の略。  第一次世界大戦、第二次世界大戦両方でドイツ海軍の最大の敵は、イギリス海軍だった。強大なイギリス海軍にドイツ海軍が正面から戦いを挑んでも、勝てないことは明らかだった。そこでドイツは潜水艦を利用して、イギリスの輸送船を攻撃することを思いついた。  ドイツは300隻のUボートを建造し、イギリス ...

ReadMore

第二次世界大戦とルクセンブルク 市民の抵抗が「国民連帯の記念日」へ

 ルクセンブルクはドイツ、フランス、ベルギーの間にあるとても小さな国。歴史上、ドイツに属したり、ベルギーに属したりしながら、緩衝地帯の非武装中立国として独立を認められた。  1939年にルクセンブルクは独立百周年を祝った。奇しくも、第二次世界大戦が始まった年のことだった。ルクセンブルクの正式名は「ルクセンブルク大公国」で、立憲君主制ながらシャルロット女大公が元首として内閣と協力して政治を行っていた。 開戦と亡命  1940年5月10日にドイツ軍が国境を突破してくると、大公一家と政府は間一髪でフランスに逃れ ...

ReadMore

日本支配からの朝鮮史 李氏朝鮮から日本支配、大韓民国の建国へ

 朝鮮半島には李氏朝鮮という王朝が存在したが、国民が豊かになると反乱が起きるという考えから近代化が起きることはなく、多くの市民は原始的な生活を送っていたとされる。  朝鮮半島の発展が急速に進んだのは、1910年に日本に併合されてからだった。日本から朝鮮半島に大量の資金と人員が投下され、各地に学校が建設され、北部は工業化が進んだ。李氏朝鮮時代は階級差別が強かったこともあり、市民は日本を歓迎したという。 日本人になりたがった人々  朝鮮総督府や学校の上層部を支配していたのは日本人だったから、朝鮮人でいるよりも ...

ReadMore



第二次世界大戦とオランダ 「飢餓の冬」とインドネシア独立戦争

 第一次世界大戦ではベルギーやオランダがドイツ軍により占領された。オランダも総動員体制をとり、隣国ベルギーからの難民を多数受け入れた。ドイツ ...

サイパン島の戦い マッピ岬はバンザイ・クリフへ

 第二次世界大戦時、サイパン島には日本人が3万人、現地人が4,000人ほど暮らしていた。アメリカ軍の攻撃が迫ってくると、日本政府は彼らを本土 ...

日本本土空襲 ルメイ少将の無差別爆撃作戦

 B-29長距離爆撃機が完成したことで、アメリカ軍は日本本土に爆撃することが可能になった。B-29の生産は開発元のボーイング社だけでなく、ゼ ...

ドイツ・アメリカ・日本の潜水艦運用の違い

 第二次世界大戦において、ドイツ・アメリカ・日本では異なる潜水艦運用を行った。 第一次世界大戦におけるドイツの潜水艦運用  ドイツの潜水艦は ...

日本支配からの朝鮮史 李氏朝鮮から日本支配、大韓民国の建国へ

 朝鮮半島には李氏朝鮮という王朝が存在したが、国民が豊かになると反乱が起きるという考えから近代化が起きることはなく、多くの市民は原始的な生活 ...

第二次世界大戦とタイ 日本と同盟するも、敗戦国から逃れる

 タイはアジアでは珍しく、列強の植民地支配を受けなかった国である。第一次世界大戦では最初に中立を宣言し、連合国が有利になったところで参戦して ...

マレー沖海戦 戦艦が初めて航空機に撃沈される

 日本軍の南下を予想したイギリスは、東洋の拠点シンガポールに戦艦5隻、巡洋戦艦1隻、航空母艦3隻という強力な艦隊を配置する計画を立てた。   ...

広島と長崎に原子爆弾が落とされた理由

 アメリカが原子爆弾を完成させたのは、1945年7月16日のことだった。既にナチス・ドイツは降伏していたので、投下先は日本以外なかった。 候 ...

プロイセンの優れた鉄道輸送システム 日本が見習ったドイツの近代軍

 ドイツが統一されたのは1871年のことで、日本の明治維新よりも最近のことだった。統一前のドイツは、いくつもの国が乱立する状態で、その中で強 ...

日本の軍艦の命名規則 旧国名、山岳名、河川名

 欧米では「ビスマルク」「クイーン・エリザベス」のように軍艦の名前に歴史上の人物などの名前を用いるのに対して、日本では軍艦の名前には人名が使 ...

もっと見る

第二次世界大戦とオランダ 「飢餓の冬」とインドネシア独立戦争

 第一次世界大戦ではベルギーやオランダがドイツ軍により占領された。オランダも総動員体制をとり、隣国ベルギーからの難民を多数受け入れた。ドイツ ...

日本支配からの朝鮮史 李氏朝鮮から日本支配、大韓民国の建国へ

 朝鮮半島には李氏朝鮮という王朝が存在したが、国民が豊かになると反乱が起きるという考えから近代化が起きることはなく、多くの市民は原始的な生活 ...

第二次世界大戦とタイ 日本と同盟するも、敗戦国から逃れる

 タイはアジアでは珍しく、列強の植民地支配を受けなかった国である。第一次世界大戦では最初に中立を宣言し、連合国が有利になったところで参戦して ...

もっと見る

第二次世界大戦とデンマーク ドイツ占領下のレジスタンス

 ドイツと国境を接するデンマークは、第一次世界大戦では中立を保つことができた。ドイツでナチスが台頭すると、デンマーク政府は国内の新聞や雑誌が ...

第二次世界大戦とオランダ 「飢餓の冬」とインドネシア独立戦争

 第一次世界大戦ではベルギーやオランダがドイツ軍により占領された。オランダも総動員体制をとり、隣国ベルギーからの難民を多数受け入れた。ドイツ ...

第二次世界大戦とブルガリア 判断の遅れでソ連の勢力下へ

 ブルガリア王国は第一次世界大戦でドイツ側が勝利すると判断し、中央同盟側に立って参戦した。しかし目論見は外れて敗戦国になってしまい、多くの領 ...

第二次世界大戦とスイス 枢軸側に協力して永世中立を維持

 永世中立国として知られるスイスは、第二次世界大戦でも中立の姿勢を貫いた。スイスが中立を維持できたのは、偶然と枢軸国への協力によるもので、永 ...

日本本土空襲 ルメイ少将の無差別爆撃作戦

 B-29長距離爆撃機が完成したことで、アメリカ軍は日本本土に爆撃することが可能になった。B-29の生産は開発元のボーイング社だけでなく、ゼ ...

マダガスカル計画 ユダヤ人の追放から、絶滅への転換

 第二次世界大戦が始まる前から、かなりの数のユダヤ人がドイツから逃げ出していた。アメリカに10万人、イギリスに5万人、フランスに3万人、オラ ...

ドイツ・アメリカ・日本の潜水艦運用の違い

 第二次世界大戦において、ドイツ・アメリカ・日本では異なる潜水艦運用を行った。 第一次世界大戦におけるドイツの潜水艦運用  ドイツの潜水艦は ...

第二次世界大戦とルクセンブルク 市民の抵抗が「国民連帯の記念日」へ

 ルクセンブルクはドイツ、フランス、ベルギーの間にあるとても小さな国。歴史上、ドイツに属したり、ベルギーに属したりしながら、緩衝地帯の非武装 ...

バトル・オブ・ブリテン 制空権を巡る空戦

 ドイツ軍の奇襲攻撃を受けたイギリス・フランス連合軍はフランス北岸の都市ダンケルクに追い詰められた。イギリスは国内の船をかき集めて救出作戦を ...

バルバロッサ作戦 北方軍、中央軍、南方軍の目標

 ヒトラーがソ連侵攻を検討すると、ドイツ陸軍でも具体的な計画が練られた。将校たちはナポレオンによるロシア遠征の事例を調べた。 マルクス案とオ ...

もっと見る