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真珠湾攻撃は卑怯な行動だったのか

 ヨーロッパで第二次世界大戦が行われていた1941年12月、日本軍はアメリカ海軍の拠点、オアフ島の真珠湾基地に奇襲攻撃を仕掛けた。

アメリカ海軍太平洋艦隊の本拠地

 真珠湾基地はアメリカ太平洋艦隊の本拠地で、湾内には多くの軍艦が停泊していた。湾の入り口には巨大な陸上砲台があり、軍艦は近づくことができなかった。そこで日本軍は空母から航空機を発進させ、爆撃と魚雷による攻撃を行った

 この作戦はかなり綿密に計画されていて、攻撃に参加する航空母艦6隻は密かに択捉島に集合し、見つからないように潜水艦が警戒しながら、北側から迂回してハワイ諸島へと向かった。

 こうして日本軍は真珠湾攻撃を成功させ、2つの飛行場と航空機300機を破壊し、戦艦7隻を撃沈または使用不能にした。ただし、目標だった空母が出払っていたため、3回目の攻撃は行わずに引き返した。

リメンバー・パールハーバー

 この異例の事態に、アメリカ大統領フランクリン・ルーズベルトは攻撃を「卑怯な騙し討ち」であると表現して演説を行った。これを聞いたアメリカ国民は激怒し、「リメンバー・パールハーバー」を合言葉に日本に復讐を誓ったのだった。アメリカ国民は戦争に消極的だったが、この事件をきっかけに志願兵が激増したという。

 この点でよく言われていることが、日本の宣戦布告が真珠湾攻撃の後にされたということ。つまり奇襲攻撃をした後に宣戦布告をするなんて卑怯じゃないか、という理屈である。日本は攻撃直前に宣戦布告するつもりだったが、手続きの遅れで後になってしまったという話もある。

 しかし、そもそも攻撃をするときに宣戦布告をしなければならないというルールはなく、ドイツが第二次世界大戦でポーランドに侵攻したときも、不可侵条約を破ってソ連に侵攻したときも宣戦布告はしなかった。アメリカも戦後のベトナム戦争や湾岸戦争、イラク戦争のときに宣戦布告をしていないわけで、理屈から言えば戦後のアメリカは卑怯者の極みになってしまう。

無警戒の真珠湾基地

 戦争していなかったとはいえ、最重要拠点である真珠湾基地を奇襲されるという失態を犯したアメリカ軍は何をやっていたのだろうか。当時、日本とアメリカは激しく対立していて、いつ戦争が起きても不思議ではなかった。

 アメリカ軍はレーダーで基地の周辺を警戒していて、大量の航空機が接近してくることを察知していた。しかし、これが日本軍の航空機だとは思わず、自軍の航空機だと判断して何もしていなかった。

 最初の空襲があったのは午前8時頃で、この時間に戦艦の兵士は甲板に整列していて、上空の航空機が敵襲だとはすぐに気づかなかった。爆発が起きてから慌てて配置についたが、時すでに遅し、という状態だった。

 太平洋艦隊司令長官のキンメル大将、ハワイ方面陸軍司令長官のショート中将は、真珠湾攻撃の責任を問われて12月17日に解任・降格されている。

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