日本史 西洋史

ドイツ・アメリカ・日本の潜水艦運用

 第二次世界大戦において、ドイツ・アメリカ・日本では異なる潜水艦運用を行った。

第一次世界大戦におけるドイツの潜水艦運用

 ドイツの潜水艦は「Uボート」と呼ばれる。ドイツ語の「Unterseeboot(潜水艦)」の略。

 第一次世界大戦、第二次世界大戦両方でドイツ海軍の最大の敵は、イギリス海軍だった。強大なイギリス海軍にドイツ海軍が正面から戦いを挑んでも、勝てないことは明らかだった。そこでドイツは潜水艦を利用して、イギリスの輸送船を攻撃することを思いついた。

 ドイツは300隻のUボートを建造し、イギリスの輸送船団を狙って襲撃した。これはたいへんな効果があり、5,000隻もの商船を沈めることに成功した。イギリスは神出鬼没のUボートの出現により、海軍力が勝っているにも関わらず海上封鎖されたような状態となった。イギリスは島国なので、海上封鎖されてしまうと食糧不足などの深刻な事態に陥る。

 しかし中立国であるアメリカの輸送船が物資を運び込んだため、イギリスは持ちこたえることができた。そこでドイツ海軍は、中立国だろうとイギリスに物資を運ぶ船は無差別に攻撃する「無制限潜水艦作戦」を開始した。

 この作戦はアメリカを激怒させ、参戦を招くことになった。イギリスも輸送船に船団を組ませて軍艦で護衛する「護送船団方式」を採用することで、ドイツの攻撃を防いだ。こうしてUボートは最終的に何もできなくなった。

群狼戦術

 第二次世界大戦でドイツは新たに「群狼戦術」を採用した。Uボート側も集団になって、護送船団に襲いかかることにした。

 潜水艦は洋上艦である駆逐艦に比べて、速度が遅く戦闘力も低かったので1対1では逃げることしかできなかった。しかし多数のUボートで輸送船団に何日もまとわりつく。護衛の駆逐艦が追い払おうとしてきたら、その隙に別のUボートが輸送船団を攻撃することで、少しずつ輸送船を減らし続けることができる。この作戦は、羊の群れを襲う狼の集団にそっくりなので、群狼戦術と呼ばれた。群狼戦術の採用により、第二次世界大戦でもUボートは大活躍することになった。

 アメリカとイギリスは群狼戦術に対し、新技術のレーダーと航空機による支援で対抗した。当時の潜水艦は水中に長時間潜っていることはできず、必要なとき以外は基本的に洋上に浮いていた。そこで航空機で洋上を警戒し、潜水艦を発見したら追跡して監視を続けた。やがて爆撃機がやってきて攻撃した。

 Uボートは航空機には何もできず、水中深くに潜って逃げるしかなかった。アメリカは護衛空母と呼ばれる小型空母を大量生産するようになると、もはやUボートが浮上できる場所はなくなった。こうして1943年にはUボートはほぼ封じられた。

アメリカ軍の群狼戦術

 アメリカ軍はドイツ軍の「群狼戦術」を太平洋で採用した。潜水艦を集団運用することで、日本軍の輸送船を次々と沈めていった。

 日本は輸送船を守ることにはあまり興味がなかったようで、被害が出るようになってからもなかなか対策を取らなかった。やがて護衛をつけるようになったが、もともと潜水艦を軽視していたので、アメリカの洗練された「群狼戦術」を前にしては、なすすべもなかった。こうして兵員を載せた輸送船を撃沈され、補給物資を載せた輸送船を撃沈され、南方戦線の日本軍は食料も弾薬も足りない状態で戦わなければならなくなった。

 アメリカの潜水艦は、パイロットの救出任務もこなしていた。太平洋の各地で、洋上に不時着したパイロットを回収してまわっていた。仮に海上で撃墜されても、潜水艦が助けに来てくれる。アメリカ軍のパイロットにとって、潜水艦はとても心強い存在だった。

日本軍の潜水艦運用

 一方の日本軍では、潜水艦を輸送船攻撃に使うという考えはなかった。潜水艦の任務は、敵の戦艦や空母を沈めることだった。

 やがて潜水艦には新たな任務が与えられた。輸送船が次々と襲われてしまうので、水中を進むことができる潜水艦を物資の運搬に使うようになった。潜水艦による輸送は「モグラ輸送」とか「ネズミ輸送」と呼ばれた。潜水艦では大した量の物資を運べなかったが、輸送船では沈められてしまうので背に腹は代えられなかった。とはいえ、日本の潜水艦は比較的うるさかったので、アメリカ軍のソナーにより発見されてしまうことが多かった。

 アメリカと日本の潜水艦の性能には大きな差はなかったが、運用の方法がまったく異なり、戦局の影響もまったく異なる結果となったのだった。

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