スターリングラードはソ連の指導者スターリンの名を冠する都市で、南ロシアの中心的な工業都市でもあった。ヒトラーにとって、この象徴的な都市を奪うことは大きな目標のひとつだった。ドイツ第六軍のパウルス大将は、スターリングラードは一か月ほどで陥落させられるとヒトラーに説明していた。
1942年9月13日、ドイツ第六軍がスターリングラードへ総攻撃を開始する。スターリングラードを守っていたのはチュイコフ中将の指揮するソ連第62軍で、既にドイツ軍と戦いながら後退を続けていた。部隊は疲れ切っていて、指揮系統もばらばらで、兵力がどれだけ残っているかも把握できていないような状態だった。
市街戦
戦いは市街戦になり、砲撃も戦車もあまり役に立たない状態だった。ドイツ軍とソ連軍は建物ひとつひとつを奪い合った。ソ連兵は廃墟となった建物の陰に隠れ、下水道を使ったりして奇襲を行った。二週間ほどで、ドイツ軍は市街地の半分を制圧した。
10月14日にドイツ軍はスターリングラードに3000機を投入して大規模な爆撃を行い、ソ連軍守備隊に壊滅的打撃を与えた。ドイツ軍は市街地の9割を占領することに成功してボルガ川に到達した。
天王星作戦
一方でソ連軍は密かに反攻作戦を始めるため、スターリングラードの北方に大軍を集結させていた。1000機の航空機、900両の戦車、そして100万人の兵士がドン川の北に集まっていた。この軍勢はドイツ軍に見つからないよう、巧妙に集められた。
11月19日、ソ連軍は「ウラヌス(天王星)作戦」を開始した。ソ連南西方面軍がスターリングラードの西にいたルーマニア第三軍に襲いかかり、これを壊滅させた。同時にスターリングラード方面軍も前進を開始し、ルーマニア第四軍と交戦状態に入った。
ドイツ第六軍のパウルス上級大将は、このソ連軍の動きを小規模な反撃だと判断、スターリングラード攻撃を続けた。まもなくルーマニア第四軍も壊滅した。包囲されつつあることに気づいたパウルス大将は、ヒトラーに撤退の許可を求めた。しかしヒトラーはこれを却下し、死守命令を出した。
第六軍の降伏
第六軍の救出にはマンシュタイン元帥が任命された。マンシュタインは戦車をかき集めて包囲しているソ連軍に攻撃を加えて脱出を支援した。しかしパウルスはヒトラーの死守命令を守り、脱出行動を行うことはなかった。ドイツ軍は物資や食料を空輸したものの、第六軍は日に日に陣地を縮小していき、ついにはすべての飛行場をソ連軍に奪われてしまった。
ヒトラーはパウルス大将を元帥に昇進させ、第六軍を古代ギリシアのスパルタ軍になぞらえた。スパルタ軍はテルモピレーの戦いで寡兵で全滅するまで戦った。スパルタ王レオニダス二世は戦死したが、英雄として記録に残っている。
しかしパウルスは英雄になる気は無かったようで、元帥に昇進した次の日に降伏した。30万人いたドイツ軍のうち、20万人が死傷し、10万人が捕虜になったとされる。このうち祖国に帰れた兵士は6000人ほどだった。