1940年5月、ドイツ軍がオランダに侵攻を開始した。ドイツ軍はオランダ国境にB軍集団、ベルギー国境にA軍集団、フランス国境にC軍集団を配置しており、B軍集団がオランダ領内に侵入した。
オランダ・ベルギーの戦い
オランダ侵攻の情報が入ると、イギリスではチェンバレン首相が即日辞任して、強硬派のチャーチルが首相になった。チャーチルは直ちにベルギー国境付近にいた英国遠征軍(BEF)をオランダ救援に向かわせた。
オランダ軍の兵力は約40万人だったが、大した抵抗もできずに降伏した。B軍集団はそのまま隣国のベルギーに侵入し、英仏連合軍と対峙した。しかしドイツB軍集団のこの動きは囮で、A軍集団がアルデンヌの森を突破して敵の背後に回った。背後からの奇襲を受けた英仏連合軍は大混乱に陥り、海へ向かって敗走していった。
フランス側はアルデンヌの森を戦車が通ることは不可能であると判断して、守りを薄くしていた。
ダンケルクの奇跡
A軍集団は英仏連合軍を追撃したが、ヒトラーの進軍停止命令を受けて三日間停止した。この間に英仏連合軍はダンケルクに逃げ込むことができた。ヒトラーが進撃停止を命じた理由は不明だが、空軍司令官ゲーリングが陸軍を止めるべく進言したという説がある。
英仏連合軍はダンケルクで体制を立て直し、攻撃を再開したドイツ軍を撃退した。イギリス本土から戦闘機を飛ばし、ドイツ空軍を追い払った。
チャーチルはイギリス国内で船をかき集め、ダンケルク救出へと向かわせた。ダンケルクは遠浅の海だったため、大型の船は接岸できなかった。そこでイギリス中から漁船、ヨット、遊覧船までかき集めて投入した。
こうして最終的に35万人の将兵がダンケルクからイギリス本土へ撤退することに成功した。ただし戦車や火砲、軍用車は捨て置かれ、フランスにおける英仏連合軍の敗北は明らかだった。
チャーチルのダンケルク演説
ダンケルク撤退作戦が完了した次の日、イギリス首相チャーチルは議会で演説した。
……すべての国民が義務を果たし、最善を尽くせば、何年かかろうと、孤立無援となろうとも、我々は故郷を守り、戦いを勝ち抜き、暴政の脅威から生き延びることができる。
大英帝国とフランス共和国は大義のため一丸となり、命をかけて祖国を守ろうとしている。
ヨーロッパの広大な土地と伝統ある国家がゲシュタポやナチスの手に落ち、落ちようとしているが、我々は怯むことも止まることもない。
我々は最後まで戦う。フランスで戦い、海で戦う。空で戦う。我々はいかなる代償を払おうとも、国土を守る。
海岸で戦い、上陸地点で戦い、野で、街で、丘で戦う。
我々は決して降伏することはない。
万が一、このイギリス本土が征服され、飢えることがあろうとも、海の向こうに広がる我が帝国がイギリス艦隊と共に戦いを続け、解放をもたらしてくれるはずだ。
チャーチルの演説により、イギリス国民は徹底抗戦の意志を固めたとされる。