西洋史

第二次世界大戦とスペイン・ポルトガル 二人の独裁者

 イベリア半島に位置するスペインとポルトガルでは、第二次世界大戦直前に独裁政権が誕生していた。

スペインのフランコ政権

 第一次世界大戦後のスペインでは、急激に進んだインフレや、カタルーニャ・バスク地方の独立運動により混乱が続いた。王政は打ち倒され、右派と左派が争い内戦に陥った。内戦に勝利したのはドイツとイタリアの支援を受けたフランコだった。

 フランコは第二次世界大戦が始まると、とりあえず中立の姿勢を取った。国内は荒れ果てていて、とても参戦できるような状態ではなかった。しかしドイツがフランスを降伏させると、枢軸国側に立って参戦することを考え始めた。もともとフランコはファシズム陣営の人間だった。フランコは有利な条件で参戦するべくヒトラーと交渉を始めるが、要求が過大だったため、なかなか話は進まなかった。フランコは分け前を得るべく、ドイツに義勇兵を送った。

 連合国の優勢がはっきりしてくると、スペインはドイツから義勇兵を引き揚げ、中立、反共産主義、反日本の立場を鮮明にした。

ポルトガルのサラザール政権

 ポルトガルでは第一次世界大戦後の急激なインフレにより混乱し、軍事政権が誕生した。コインブラ大学のサラザールが財政再建に成功したことで支持を集め、首相・財務大臣・陸軍大臣・外務大臣を兼務して独裁者になった。

 サラザールは第二次世界大戦で中立の立場を取りつつ、連合国と枢軸国両方と取引をして反映した。また、伝統的に同盟関係にあるイギリスとは距離を取り、スペインに接近して不可侵条約を締結した。

 連合国が有利になると、イギリスとアメリカに大西洋の基地を貸し与え、連合国寄りの姿勢を見せた。

戦後の独裁体制

 戦後、スペインは枢軸国に味方していたと見なされ、国際連合から追放される。ポルトガルも戦後に経済が混乱し、徹底した弾圧によりヨーロッパ最貧国へと転落していった。それでも、フランコ政権とサラザール政権は独裁者として長らく君臨し続けた。

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