第二次世界大戦が始まる前から、かなりの数のユダヤ人がドイツから逃げ出していた。アメリカに10万人、イギリスに5万人、フランスに3万人、オランダに3万人程度が脱出したとされる。
ナチスをはじめとする反ユダヤ主義者は、ユダヤ人を憎んでいただけではなく、「ドイツを崩壊させる病原体」と見なしていた。そこでドイツ国内のユダヤ人が消え去ることを望んでいた。国外へ出て行ってくれるなら、それを妨害する理由はなかった。
マダガスカル計画
フランスを占領すると、ユダヤ人をフランスの植民地マダガスカル島へ追放する計画が立てられた。マダガスカル島はアフリカ南部にあるので、ここへ追放してしまえばドイツと関わることはなくなる。
当時ドイツが頭を悩ませていたのが、ポーランドに住んでいたユダヤ人たちだった。ユダヤ人はドイツ国内にも住んでいたが、ポーランドにはさらに多くのユダヤ人が住んでいた。もはやポーランドもドイツの領土になった以上、彼らをどうにか消し去らなければならなかった。
しかしマダガスカル計画には重大な問題があった。マダガスカルへ運ぶためには大量の船が必要となる。加えて、制海権はイギリスが握っていたので、イギリスの許可がなければ船を出すことができなかった。もちろん戦争中でもあり、イギリスが許可するわけがなかった。
ユダヤ人でふくれあがるゲットー
ポーランドには既にゲットー(ユダヤ人強制居住区)を次々と建設していた。ゲットーに収容したユダヤ人たちは、いずれマダガスカル島やソ連などの遠方へ追放するつもりだった。あくまでゲットーは一時的な居住区だったらしい。
しかしドイツの支配地域が広がっていくと、ゲットーは各地から移送されるユダヤ人であふれかえり、ついには受け入れ困難な状態になってしまった。マダガスカル島への移送もできないため、何らかの対策が必要となった。
ヒトラーは解決策として、ソ連侵攻を考えた。ソ連に侵攻すればドイツの食料問題も解決し、ユダヤ人も追放できる。こうしてドイツは、ソ連に侵攻を始めた。
ユダヤ人絶滅計画
ユダヤ人はソ連にも住んでいた。ナチスの思想教育を受けたエリート部隊である「武装親衛隊」は、ソ連国内のユダヤ人を片っ端から殺害していった。しかし武装親衛隊ですら、無抵抗の住民を殺戮していく任務には耐えられなかったらしい。
こうした状況を受けて、ナチスドイツは効率的な処理方法を考え始めた。たとえば爆弾でまとめて吹き飛ばすとか、毒ガスでまとめて処理するとか。こうして「ガス室」による殺戮方法が発明されると、武装親衛隊は自らの手でユダヤ人を殺戮して回るという任務から解放されるため喜んだとされる。
1942年1月、ユダヤ人問題を解決する方法として、「絶滅させる」ことが決定した。