第一次世界大戦で敗北したドイツでは、ユダヤ人が戦争に協力せず私腹を肥やしているという噂が流れいていた。噂はだんだんと過激になり、やがてドイツが戦争に負けたのはユダヤ人のせいである、という意見が出てくるようになった。 ヒトラーの登場 この頃に登場したヒトラーは、ユダヤ人を「ドイツの病原体」だと表現した。ユダヤ人はドイツの労働者を腐敗させ、議会を支配し、マスコミを牛耳っている。そもそもドイツ人の祖先であるアーリア人は「文化を創造する人種」であり、ユダヤ人は「文化を破壊する人種」である。悪の人種であるユダヤ ...
第二次世界大戦とチェコスロバキア ズデーテン問題でイギリスに見捨てられる
第一次世界大戦が起きたとき、チェコスロバキアはオーストリア帝国の支配下にあった。そのためロシア帝国と戦うことになったが、チェコスロバキア人はロシア人と同じスラブ民族だったので、戦わずに投降する兵士も多かった。投降した兵士たちはチェコスロバキア軍団としてロシア軍に加わったが、その数は数万人にも上った。 ロシア革命が起きると、彼らは革命軍と戦いながら東へと移動していき、ウラジオストクに留まった。このときイギリスと同盟関係にあった日本はシベリアに出兵し、チェコスロバキア軍団の救出に向かっている。この働きはア ...
沖縄には1944年3月に、日本陸軍の第32軍が配置された。第32軍は首里に本拠地を置き、沖縄本島、奄美群島、宮古列島、八重山列島などを管轄し、アメリカ軍の上陸に備えた。第32軍の兵力は10万人ほどだった。 戦艦大和の出撃 1945年3月、アメリカ軍は沖縄本島より西にある慶良間諸島に上陸した。この地に大艦隊を停泊させ、沖縄本島上陸の拠点とする目的だった。日本軍は慶良間諸島を狙われることは予想しておらず、上陸はあっさりと成功した。 拠点を確保したアメリカ軍は、爆撃機3,000機による爆撃、10隻の戦艦に ...
1940年10月にイタリア軍がアルバニア国境からギリシャ領に侵入したことで、ギリシャは否応なく第二次世界大戦に巻き込まれ、連合国側として戦うことになった。ギリシャ軍はイタリア軍の撃退に成功したが、これを見てドイツはソ連への攻撃を延期し、バルカン半島へと目標を変えてきた。 ドイツ占領下のギリシャ ドイツ軍は1941年4月に領内に侵入した。ギリシャ軍はイギリスの援軍とともに抵抗したものの、首都アテネを失い、国王と政府はクレタ島へと逃れた。そしてクレタ島もドイツの落下傘部隊により占領された。 全土を占領さ ...
ドイツと国境を接するデンマークは、第一次世界大戦では中立を保つことができた。ドイツでナチスが台頭すると、デンマーク政府は国内の新聞や雑誌がドイツを批判しないように目を光らせた。ドイツで迫害された共産主義者やユダヤ人はデンマークに逃げ込もうとしたが、政府は外国法を厳格化し、難民を閉め出しドイツと良好な関係を保った。 ドイツと良好な関係を保つ 第二次世界大戦が始まってからもドイツと良好な関係を保ち、農産物の輸出を続けた。しかしドイツは資源が豊富なノルウェーが連合国の手に落ちることを恐れていた。ノルウェーに ...
第二次世界大戦とオランダ 「飢餓の冬」とインドネシア独立戦争
第一次世界大戦ではベルギーやオランダがドイツ軍により占領された。オランダも総動員体制をとり、隣国ベルギーからの難民を多数受け入れた。ドイツにはオランダまで攻撃する余裕はなく、結局オランダは攻撃されずに済んだ。 戦後、オランダは他国同様に世界恐慌に巻き込まれ、一時ファイズム勢力が台頭する。しかし当時オランダではコレイン首相が絶大な支持を集めていて、ファシズム勢力が支持を広げることはなかった。コレイン首相は地戦争で手柄を立て、軍制改革に手腕を発揮した後、石油会社の取締役になった男だった。叩き上げの力強いイ ...
第二次世界大戦時、サイパン島には日本人が3万人、現地人が4,000人ほど暮らしていた。アメリカ軍の攻撃が迫ってくると、日本政府は彼らを本土へ避難させようとした。しかし輸送船はアメリカ軍の潜水艦に撃沈されてしまい、移送することはできなかった。 サイパン島防衛の任務は第34師団に与えられた。1944年5月には1万人がサイパン島に上陸し、東条英機首相は「これでサイパン島は難攻不落になった」と言ったという。しかし後続として予定されていた部隊を乗せた輸送船は、アメリカ軍の潜水艦により撃沈されてしまった。 サイパ ...
ブルガリア王国は第一次世界大戦でドイツ側が勝利すると判断し、中央同盟側に立って参戦した。しかし目論見は外れて敗戦国になってしまい、多くの領土を失うことになった。 引く手あまたのブルガリア 第二次世界大戦でブルガリアは各国から注目された。ドイツはギリシャ領の一部供与と引き替えに、三国同盟への加入を求めてきた。ソ連はトラキア地方の供与と経済援助の引き替えに、黒海海軍基地の使用許可と相互援助条約の締結を求めてきた。イタリアはギリシャへの攻撃を、アメリカは中立維持を、トルコは防衛条約の締結を求めてきた。 こ ...
永世中立国として知られるスイスは、第二次世界大戦でも中立の姿勢を貫いた。スイスが中立を維持できたのは、偶然と枢軸国への協力によるもので、永世中立を掲げていたからではなかった。 開戦までのスイス 戦前のスイスは他の国同様に世界恐慌の影響を受け、共産主義やファシズムの力が増していた。スイス政府は対策に乗り出し、ナチスの活動を禁じた。スイスの個性は「多様性」にあるとして、民族的な全体主義を否定した。 一方でドイツやイタリアとの対立を避けるため、イタリアのエチオピア侵略とドイツのオーストリア併合を承認し、国 ...
B-29長距離爆撃機が完成したことで、アメリカ軍は日本本土に爆撃することが可能になった。B-29の生産は開発元のボーイング社だけでなく、ゼネラル・モーターズ社、ノースアメリカン社、ベル社でも行われた。 マッターホーン作戦 1943年8月にアメリカのルーズベルト大統領とイギリスのチャーチル首相が会談し、ノルマンディー上陸作戦と日本本土の空爆が行われることに決まった。 日本本土空爆はB-29をインドのカルカッタ(現コルカタ)に配備し、中国の前進基地を利用して日本本土を爆撃しようというもので、作戦名はマッ ...