永世中立国として知られるスイスは、第二次世界大戦でも中立の姿勢を貫いた。スイスが中立を維持できたのは、偶然と枢軸国への協力によるもので、永世中立を掲げていたからではなかった。
開戦までのスイス
戦前のスイスは他の国同様に世界恐慌の影響を受け、共産主義やファシズムの力が増していた。スイス政府は対策に乗り出し、ナチスの活動を禁じた。スイスの個性は「多様性」にあるとして、民族的な全体主義を否定した。
一方でドイツやイタリアとの対立を避けるため、イタリアのエチオピア侵略とドイツのオーストリア併合を承認し、国際連盟の制裁には参加しなかった。枢軸国と連合国の対立に対し、国際紛争には関わらないという立場を明確にした。スイスは同時に祖国防衛のための準備を進めていた。
ドイツへの備え
ドイツ軍がポーランドに侵攻すると、スイスは即日総動員体制に入った。戦時特別税が導入され、43万人の兵士が任務に就いた。
スイス軍総司令官であるギザンは密かにフランスに接触し、スイス側の軍備増強を要請した。ドイツとフランスの国境には強力なマジノ線があり、ドイツ軍がそこを迂回するためにスイス領内に侵入する恐れがあった。しかし、まもなく頼りにしていたフランスが降伏してしまう。イタリアも参戦したことで、スイスは四方を枢軸国に囲まれることになった。
ギザン将軍は将校を集め、ドイツが侵攻してきた場合には山岳地帯の砦に立てこもり、徹底抗戦する決意を固めた。一方、ヒトラーはスイスがフランスと密約を交わしていたことを知り、スイス侵攻作戦を検討し始めた。
枢軸国への協力体制
スイスの経済はドイツと深く結びついていた。スイス企業の多くはドイツ国内に支社を置いており、戦争中も取引を行っていた。民間企業の武器輸出は中立違反と見なされなかったため、スイス企業は戦争中もドイツに武器弾薬や精密機械を輸出し続けた。ドイツからは原材料や燃料を輸入した。
スイス銀行はドイツから金塊を購入して間接的にドイツを支援した。金塊はベルギーやオランダで略奪されたものであることは明らかだった。さらにドイツから逃れてくるユダヤ人の入国を拒否し、国境を封鎖した。
このようにスイスが協力的な姿勢を見せたことで、枢軸国もスイスを攻撃する必要性がなくなった。やがて枢軸国が敗れて戦争が終わったことで、スイスは中立の立場を守ることができた。
戦後、略奪された金塊を購入していたことが問題となり、関係国に賠償金を支払うことになった。また、戦争中の人道問題や国際協調への取り組みが不十分だったことが国内で議論された。以降、スイスは戦争被害者に向けた義援金の拠出や、難民の受け入れ拡大、国連関連機関の誘致などの独自の取り組みを進めていくことになる。