東洋史

桃園の誓いと義兄弟 三国志の忠義の象徴

 「桃園の誓い」は三国志演義に登場する、劉備、関羽、張飛の三人が義兄弟の契りを交わす象徴的な出来事である。

黄巾の乱と桃園の誓い

 後漢末期の時代は中央政権の腐敗が進み、民衆は困窮し、各地で反乱が頻発していた。中でも張角が起こした「黄巾の乱」は大規模なもので、漢王朝は対応に手を焼いていた。 涿県の青年、劉備は義勇兵の募集に応じて、知り合った張飛、関羽と意気投合し、共に義勇軍に加わることにした。彼らは張飛の屋敷の裏の桃園で、義兄弟の契りを交わした。

 「我ら三人、生まれし日、時は違えども兄弟の契りを結びしからは、心を同じくして助け合い、困窮する者たちを救わん

 当時は「忠義」が最も重要視されていて、義兄弟はまさに忠義の象徴だった。劉備を長兄、関羽を次兄、張飛は末弟とした。劉備は仁義を重んじる温厚な人物で、関羽は武勇と忠義に優れ、張飛は豪快で情に厚いとされている。

正史との違い

 三国志演義は小説であり、史実から脚色されている。正史には桃園の誓いや三人が義兄弟であったという記述はない。しかし三人が非常に深い関係であったことは描かれていて、関羽と張飛は大きな兵力を任されることが多かった。

 三人は桃園の誓いどおりに同日に死ぬことはなかった。最初に荊州で呉に敗れた関羽が死に、次にその仇討ちに燃えていた張飛が部下に暗殺され、劉備も夷陵の戦いで呉に敗れて死んだ。劉備、関羽、張飛の三人が亡くなったことにより、三国志の主人公は諸葛亮へと移ることになる。

三人の性格

 劉備は三国志演義で仁義を重んじる人格者として描かれているものの、正史を見ると意外と激情家で、若いときに官吏を杖で打ちのめしたエピソードがある。これは演義では張飛がやったことになっている。ただしこれは民衆のためにやったことであり、弱きを助け、正義を重んじる性格が良く表れている。

 関羽は演義と正史に大きな差はない。義を重んじるが、プライドが高く、独善的な性格が身を滅ぼした。

 張飛は粗暴で人情に厚いとされる。しかし正史では勉強家で、兵法をよく研究していたという。実際、劉備や関羽のように「大敗」したことはなく、かなり優秀な武将だったと考えられる。

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