西洋史

第二次世界大戦とフィンランド ナチスドイツと手を結び、独立を維持

 第一次世界大戦中にロシア帝国が崩壊すると、フィンランドはバルト三国と共に独立を果たした。しかし新たに隣国となったソ連は強大で、常にフィンランドやバルト三国は独立を脅かされることになる。

 第二次世界大戦が始まると、ソ連はフィンランドに国境近くの領土割譲、国境からの後退、ハンコ岬の貸与を要求した。ハンコ岬はフィンランド湾の入り口に位置するため、首都ヘルシンキやソ連の都市レニングラードからの船舶を監視することができた。フィンランド政府は、この要求を拒否した。

冬戦争

 要求を拒否されたソ連は、宣戦布告なしでフィンランドに侵攻を開始した。ここに「冬戦争」が始まる。

 気温マイナス40度という極寒の地で、フィンランド軍はマンネルヘイム将軍指揮の下、塹壕に籠もり、スキー部隊による火炎瓶攻撃でソ連軍を迎え撃った。あらかじめ構築されていた「マンネルヘイム線」でフィンランド軍は、10倍の兵力のソ連軍に対して2か月間持ちこたえ、ソ連軍は2万人の犠牲者を出した。さらにイギリスとフランスが援軍を送り込もうとしたため、ソ連は講話に応じることになった。

 こうしてモスクワ条約が結ばれた。撃退したとはいえフィンランドは不利な側だったため、カレリア地方、フィンランド湾東側諸島の割譲、ハンコ岬のソ連への30年間の貸与を認めることになった。カレリアに住んでいたフィンランド人42万人は、引っ越しを余儀なくされた。

 この頃、バルト三国は既にソ連に飲み込まれていた。さらにソ連は北欧軍事同盟の禁止、ハンコ岬への鉄道移動の許可を要求してきた。国家存亡の危機の中、助け船を出してきたのはナチス率いるドイツだった。

ソ連領に侵攻

 1941年6月22日、ドイツ軍がソ連侵攻を開始すると、フィンランドも同時に軍事行動を開始した。ドイツ・フィンランド軍は50万の兵力でソ連領に攻め込み、ドイツ軍はレニングラード、フィンランド軍はラドガ湖北部に向けて進撃した。

 ドイツはフィンランドがドイツ側に立って参戦したと発表し、さらにフィンランド軍にレニングラード包囲に加わるよう要求した。フィンランドは侵略者と見なされたくなかったため、あくまで自衛戦争であり中立であることを強調し、包囲に加わることはなかった。しかし連合国側はフィンランドを敵と見なし、イギリスの宣戦布告を受けた。

 危機に陥ったソ連は講話を申し出たが、フィンランドはこれを拒否した。しかしドイツ軍がスターリングラードで敗れると、講話の道を探るようになった。しかしフィンランドは既に食料をドイツに依存していたため、なかなか戦線離脱することはできなかった。

ドイツとの約束を破り、単独講和へ

 連合軍がノルマンディーに上陸すると、東部戦線でもソ連軍の反攻が始まった。フィンランド軍の戦線は突破され、カレリア地方を失った。ソ連はフィンランドに対して無条件降伏を迫った。一方でドイツは、フィンランドに同盟の締結を提案してきた。フィンランドはドイツの許可なしに講和を結ばないことを約束し、ドイツからドイツから急降下爆撃機と対戦車兵器を受け取る。これらの兵器を活用することで、ソ連軍の攻撃を止めることに成功した。

 1944年9月、リュティ大統領に代わってマンネルヘイムが大統領となった。マンネルヘイムはドイツとの約束を破り、ソ連の厳しい条件を受け入れて休戦条約に調印した。ドイツ軍は報復としてフィンランドの街を破壊して帰っていった。

 戦後、ナチスに協力した戦争犯罪人としてリュティに禁固10年の判決が下った。しかしリュティが祖国を守ったことを国民は理解していた。リュティは4年ほどで釈放され、後に亡くなったときには、ソ連の反対を無視して国葬が執り行われた。

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