西洋史

第二次世界大戦とブルガリア 判断の遅れでソ連の勢力下へ

 ブルガリア王国は第一次世界大戦でドイツ側が勝利すると判断し、中央同盟側に立って参戦した。しかし目論見は外れて敗戦国になってしまい、多くの領土を失うことになった。

引く手あまたのブルガリア

 第二次世界大戦でブルガリアは各国から注目された。ドイツはギリシャ領の一部供与と引き替えに、三国同盟への加入を求めてきた。ソ連はトラキア地方の供与と経済援助の引き替えに、黒海海軍基地の使用許可と相互援助条約の締結を求めてきた。イタリアはギリシャへの攻撃を、アメリカは中立維持を、トルコは防衛条約の締結を求めてきた。

 このようにブルガリアの動向は各国の注目を集めたが、ブルガリアは中立を志向し、判断を示すことはなかった。

 結局、勢力を拡大したドイツに従わざるを得なくなり、独立の維持を条件に三国同盟に加盟し、トルコと不可侵条約を結んだ。ただし三国同盟には加盟したものの、実際には経済協力のみ行い、ソ連に宣戦布告することはなかった。

領土に固執してソ連に支配される

 枢軸国側の劣勢が明らかになってくると、ブルガリアは単独講和の道を探り始めた。しかし、アメリカに無条件降伏という条件を突きつけられたため、なかなか交渉は進まなかった。態度がはっきりしないブルガリアは連合国から明確な敵と見なされるようになり、アメリカとイギリスの爆撃を受けることになった。しかしブルガリア政府は領土に固執し続けた。

 やがてブルガリアはソ連の侵攻を受けて降伏し、全土を占領されてしまった。

 ブルガリアはソ連に支配されることになり、戦後まもなく王政は廃止された。国名はブルガリア王国からブルガリア人民共和国に変わり、ブルガリア共産党による一党独裁体制になった。こうしてブルガリアはソ連に忠実な衛星国家のひとつとなり、ワルシャワ条約機構に加えられた。

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