西洋史

ソビエト植民地 ナチスの東部統合計画

 ポーランドを占領したドイツは、占領地をどのように扱うか検討し、東部統合計画を策定した。そこではソヴィエト連邦をどのように分割し、統治していくかが記されている。

国家弁務官統治区域

 東部統合計画では、ソ連をいくつかの地区に分けることになっていた。バルト海沿岸地域を統治する「オストラント」、現在のウクライナ地域を統治する「ウクライナ」、そして「モスクワ」と「コーカサス」などがあった。

 これらの地域は戦争終了後、四半世紀の間に3,100万人の住民をシベリアに追放する。残りの1,400万人はドイツ人の奴隷とすることに決められた。スラブ人(ロシア人)を東へと追いやり、ゲルマン人(ドイツ人)の居住地域を東に拡張するという壮大な計画だった。

 ここでいうゲルマン人とはドイツ人だけではなく、ルーマニア、ハンガリー、北欧諸国、イギリス、一部のイタリア人も含む。これらの人々はドイツ人と系統が近いと考えられていたからである。

 新植民地には、36の拠点都市が建設される予定だった。

オストラント国家弁務官統治区域、ウクライナ国家弁務官統治区域

 国家弁務官統治区域が実際に設置されたのは、オストラントとウクライナの二つだった。この二つの地区は、ドイツの貴重な食料生産地域になった。この地域から食料を奪い取り、食糧不足に苦しむドイツ国民やドイツ軍に供給するのである。この計画は「飢餓計画」と呼ばれた。この計画では、現地住民3,000万人が餓死すると見積もられていた。

 ドイツ兵は休暇で本国へ帰還するとき、できるだけ多くの食料を持ち帰るように命じられた。

 占領下の地域でドイツ軍の最初のターゲットになったのは、教師、聖職者、貴族、将校だった。これらの人たちは地域住民に影響力を持っていたので、処刑されていった。この任務はドイツ国防軍も負っていたが、専門の部隊が組織されていた。親衛隊直属の「出動部隊」と呼ばれる部隊だった。出動部隊は占領地の各地に拠点を置き、虐殺を行っていた。

 出動部隊と国防軍は連携してユダヤ人や知識階層の住む地域を特定し、道路を封鎖して逃げられないようにした。そして射殺していった。

パルチザンと大祖国戦争

 ソ連軍の生き残った部隊は森や湿地に隠れて、隙を見てはドイツ軍の補給部隊を襲撃していた。

 ゲリラ戦に悩まされたドイツ占領軍は住民を人質にしたり、捕らえた兵士を片っ端から処刑したりした。こうしてドイツ軍を心底恨んだ住民は、さらにパルチザン活動を行うようになっていった。

 ソ連政府はこれを最大限利用した。ナポレオンの侵略戦争「祖国戦争」になぞらえ、独ソ戦を「大祖国戦争」とあおった。祖国を侵略してくるファシズムとの戦いと位置づけたのだった。

 なお、住民による抵抗運動はレジスタンスとかパルチザンと呼ばれるが、レジスタンスはフランス語で、パルチザンはイタリア語、そしてゲリラはスペイン語で、どれも同じような意味だが、独ソ戦では一般にパルチザンが使われる。

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