第一次世界大戦後に発足した国際連盟には、最初から多くの問題があった。
三つの欠陥
一つ目の問題は、大国アメリカが参加しなかったこと。国際連盟を提案したのはアメリカ大統領ウィルソンだったが、当時のアメリカ議会は「ねじれ」状態で、かつ孤立主義的傾向があったため、参加することがなかった。
二つ目の問題は、国際連盟が軍事力を持たなかったこと。ウィルソンは連盟軍の創設を主張していたが、イギリスが反対した。というのも連盟軍の主力がアメリカ軍になることが明白だったため、イギリスの影響力が衰えるのを恐れていた。一方でフランスは、連盟陸軍をフランスを置くことを条件に賛成していた。こちらもまた、連盟軍をフランスが自在に操ろうと考えていたからだった。
三つ目の問題は、全会一致制だったこと。多くの加盟国がある中で、全会一致することなど滅多にないわけで、ほとんど何も決められない機関だった。
常任理事国の変遷
発足時の常任理事国はイギリス、フランス、日本、イタリアの四カ国だった。非常任理事国にはベルギー、ギリシャ、スペイン、ブラジルが入った。1926年にはドイツの加盟が認められ、同時に常任理事国になった。
参加国の顔ぶれを見ればわかるように、国際連盟はそこまで重要な組織ではなかった。ブラジルが常任理事国になれなかったことを不服として脱退し、ラテンアメリカのいくつかの国も脱退。そして満州国が認められなかった日本も脱退してしまった。そしてドイツも脱退した。
仕方なく国際連盟はソビエト連邦の加盟を認めたが、イタリアが脱退したため、常任理事国はイギリスとフランスの二か国になってしまった。国際連合とは異なり、国際連盟は常任理事国であっても大した権限が与えられておらず、あまり脱退を躊躇する必要がなかった。
民族自決の方針
国際連盟は「民族自決」を基本方針にしていた。これにはイギリスやフランスの植民地を潰したいアメリカの思惑があった。そこでイギリスとフランスは、植民地を「委任統治領」という名前に変えて存続させた。
民族自決の方針はドイツには適用されなかった。ドイツの隣国であるオーストリアや、ズデーテン地方には多くのドイツ人が住んでいたが、彼らがドイツに加わることは許されなかった。そう考えると、オーストリアやズデーテン地方をドイツに吸収しようとしたヒトラーは、民族自決の方針に沿っていただけともいえる。