西洋史

ムッソリーニの政権奪取 黒シャツ隊のローマ進軍

 イタリアは第一次世界大戦の直前まで、ドイツ帝国、オーストリア=ハンガリー帝国と三国同盟を結んでいた。しかし第一次世界大戦が始まると、イタリアは三国同盟ではなく連合国側に立って参戦する。

三国協商との密約

 イタリアはもともとオーストラリアとの領土問題を抱えていて、三国同盟を結んでいながらも三国協商側(イギリス・フランス・ロシア)に接近していた。1902年にフランスと仏伊協商を結び、ドイツがフランスを攻撃したときにはイタリアは参戦しないという約束をしていた。

 第一次世界大戦が始まるとイタリアは三国協商と秘密会議を行い、三国協商側で参戦することでオーストリアから「未回収のイタリア(旧ヴェネツィア)」地方を得るという密約を取り付けた。

 イタリア軍はオーストラリア領に侵攻を開始。オーストリア軍の抵抗に遭ってほとんど進軍できなかったが、ヴィットリオ・ヴェネトでオーストリア軍を撃ち破り、トレントやトリエステの占領に成功した

パリ講和会議

 こうして戦勝国となったイタリアだったが、戦後のパリ講和会議では密約で変換が約束されていた都市フィウメが変換されず、ユーゴスラビアに併合されてしまうことになった。三国同盟を裏切る代償として密約を結んだイタリアは、約束を反故にされた。オルランド首相は席を蹴飛ばして会議の場を去った。

  イタリアは戦債の支払いができず、破綻寸前まで追い詰められた。戦勝国になったのに、敗戦国のようだった。

 作家のダヌンツィオは義勇兵を結成し、自らフィウメに侵攻した。フィウメを占領したダヌンツィオはイタリア政府に領土の献上を申し出たが、国際世論を恐れたイタリア政府が受け取ることはなかった。国民は政府に失望した。

黒シャツ隊のローマ進軍

 そしてミラノでは、ムッソリーニがイタリア戦闘者ファッシ(後のファシスト党)を結成していた。彼らは黒シャツ隊と呼ばれ、退役軍人などが多かった。

 ムッソリーニは黒シャツ隊を首都ローマ周辺に集結させて、国王を脅すことにした。

 イタリア国王ヴィットリオ・エマヌエレ3世は優柔不断で、戒厳令を出すことを求めるファクタ首相を解任してムッソリーニに組閣を命じてしまった。ムッソリーニは「ローマ進軍」が成功するとは思っておらず、亡命の準備をしていたくらいだった。

 首相となったムッソリーニの国家ファシスタ党は国会では35議席しかなかったが、国王に掛け合って独裁権を得た。

 ムッソリーニはフィウメの併合を行い、国家権力を利用して選挙に大勝した。選挙にあたって暴行・脅迫・収賄があったと議会でムッソリーニを追求したマッテオッティ議員は、数日後に死体で発見された。

 ムッソリーニは外務大臣、内務大臣、陸軍大臣、海軍大臣、空軍大臣を兼務し、アルバニアを併合した。国民からの支持は不動のものとなり、一党独裁体制を確立。さらには国会を廃止してしまった。

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